華  鬘


先頭を行くのは白銀の妖。その後に緑の小妖怪、そして、双頭の竜に乗った人間の少女と続く。小妖怪は時々、 後を振り向いて少女を確認する。
白銀の妖は後に続く供を気にする風でもないが、彼の発する妖力は少女をゆうに超え、更に後方まで延びている。
その妖力に立ち向かおうとするものは、この森にはいない。
だから白銀の妖は振り返る必要もないのだ。


いつもの風景……。いや、何か違うぞ?
森の精霊達はその違和感に首を傾げた。
そして、小妖怪も気づいた。後に向き直り、少女に声をかける。
しかし、少女は双頭の竜に身体をあずけたまま、動こうとも返事をしようともしなかった。
「りん?」 先ほどよりやや大きな声。ようやく、先頭を行く妖も異変に気づく。
「どうした、邪見?」 妖は小妖怪から少女へと視線を移した。
相変わらず少女は動こうとしなかった。小妖怪は慌てて少女に近づき、身体を揺さぶる。
「せ、殺生丸さま! りんが、りんが熱いです!」
何ともおかしな言い方だが、それが小妖怪の慌てぶりを現していた。
さらに少女をのぞき込んだ小妖怪は、一層悲惨な声で 「か、顔に変なぶつぶつが……!」 と言ったきり固まってしまった。
そんな小妖怪にかまわず、妖は少女を抱きおろした。
少女はうっすら目を開け、妖の名前を呼ぼうとしたが口を開きかけたまま、再びぐったりしてしまった。
僅かの間抱いただけでも、妖の身体にその熱さが伝わる。顔だけではない。着物から出てる部分も、おそらく 全身だろう、妙な湿疹ができている。
ここ暫くは少女から離れていなかった。だから敵に襲われたのではない。では、食べ物か? 何か毒のあるものでも食ったのか?
さすがの妖も、この緊急事態にどう対応してよいのかわからない様子である。
「邪見」 妖の言葉に固まっていた小妖怪は、はっとし、妖の顔を見てその言わんとすることを察した。
が、だからと言ってどうすればいいのか、小妖怪にもわからない。
人間の医者など知らんし……。
と、突然思い出した。「地念児だ!」
以前、小妖怪自身が毒虫に刺され、その薬を少女が地念児の畑から採ってきてくれたのだ。
「地念児のところへ行けば、治るかもしれません、ってあれっ、殺生丸さ……ま?」
小妖怪が言い終わるか終わらないうちに、妖は少女を抱いたまま双頭の竜にまたがり駆け飛んでいた。
「いっつもこうなんだから。わしを置いてかなでくださーい! 殺生丸さまー!」
慌てて後を追う小妖怪の後姿を見ながら、森の精霊達はみな、少女の具合を心配した。


母親と一緒に畑を耕していた地念児は、ものすごい妖力に全身が震えた。気が弱いとはいえ半妖である。 人間よりは気配を察するのは早い。
「どうした、じ……」 聞こうとしたその時、母親も強い力を感じた。人間とはいえ、妖との間に子どもを 作った女である。並みの人間よりは鋭い感覚を持つ。
仕事柄、いろいろな妖怪達と渡り合ってきた。そんな妖怪慣れしているふたりでも、初めて感じる総毛立つ妖気 である。
棒立ちになってるふたりの前に、やがて双頭の竜が降りてきた。続いて殺生丸が背中から降りる。
一層身を固くした息子と引き替え、母親の方はうっとり顔になった。
殺生丸は一瞬、嫌な顔をしたが、「この娘をみてやってくれ」 とだけ言った。
が、ふたりは相変わらず様子を崩さない。
「聞いているのか……?」
低く威圧的な声に、さすがに母親は気を取り直し殺生丸の腕の中の少女を受け取る。
その顔を見て 「あれ、前に来たことある娘っこじゃないか」 と驚いた。
さらによくのぞき込むと、「ああ……これは……」 と言って、ひとり納得した。
「いったい、何なのだ?」
全く要領を得ないふたりに苛立ち、殺生丸が聞く。
「ほうそうだ。人間のちいせい子がかかる病気だ。心配する病気じゃないが、熱が下がるまではおとなしく 寝かせておくんだね。この湿疹も熱が下がればなくなるよ」
そう言って少女を返そうとしたが、殺生丸は思わず後退さってしまった。
心配する病気じゃない、と言われてもこんな時どうすればいいのか、全くわからない。
怪訝な顔をして母親が口を開こうとしたとき、「殺生丸さまー!」 とようやく追いついた 邪見がやってきた。
邪見を供にしてから初めて、邪見の存在をありがたいと思った。
「一体りんは、どうしたんですか?」 殺生丸と母親の顔を交互に見ながら、邪見が聞く。
話してやれ、と言う顔で殺生丸は母親を見た。母親はやれやれ、という面もちで殺生丸に説明した言葉を 繰り返した。
邪見は、殺生丸の浮かぬ様子の原因がわかった。
こういう時こそ、わしの出番じゃ!
りんを暫く看てやってくれ、という邪見に、母親は 「おらたちは、薬はやるけど病人を看てやる義理はないよ」 と、けんもほろろに言い放った。
確かに、この殺生丸という妖はかなりの大妖怪らしい。でも、今はおらたちの助けがないとどうしようもない ようだ。
母親は大胆にもこんな事を考えて、少しかまってやろうという気になっている。
ところがその時、ようやく固まりから溶けた地念児が 「おっかあ、この嬢ちゃん看てやるべ」 と、横からいらぬ口を挟む。
その機を逃さず、邪見は 「いや、ありがたい。そうしてくれるか?」 と畳みかけた。
まだ渋い顔をしている母親をよそに、これで全て問題解決と決めた殺生丸は、双頭の竜を従えて早々に森の中 へと去って行った。
「なんじゃ、ありゃ……」 虚しく残された三人の頭上を、母親の言葉が通り過ぎた。


何か暖かい、ふわふわしたものが額にかかる。そして囲炉裏でことことと、何か甘くてふっくらとした感じの 音がする。
(おっかあ……?)
先ほどより、随分身体が軽くなったような気がして、りんは目を醒ました。
まだぼんやりする頭で、家屋内を見回した。
囲炉裏の向こうに、やけに大きな背中と、それよりはずいぶん小さいがごつい背中が並んでいるのが目に入った。 おっかあじゃない……。
大きな背中が振り向いて、りんと目があった。「目、醒めたか?」
続いてごつい背中も振り向き、りんのそばに座った。そして額に手を当てると、うんうんと頷いて囲炉裏に かけてある鍋の蓋を開けた。
あのふわふわしたのは、このおばあさんの手だったんだ。そしてことことしてるのは……。
「ほれ、かゆだ。食え」 と茶碗が差し出された。
きょとん、としているりんに地念児の母親は、
「おめえは、ほうそうにかかったんだ。今はちっと熱も下がってるけど、また上がるかもしれん。食えるときに 食っておけ」
と言った。
「ほうそう……?」
「心配ねえ。ちいせい子は必ずかかる病気だから、すぐ治る」
ほら、と言って茶碗をりんの目の前に持っていった。りんは茶碗を受け取り、かゆをすすった。
「おめえは、おらのこと覚えてるか?」 地念児の母親が聞いた。
りんは箸を止めて、じっと老女を見た。(山姥……?)
「あっ、薬草をもらいに来たときの、やま……おばあさん!」
「そっか、思い出したか。これはあん時ちょうど病気になって寝ていた、おらの息子だ。図体はでかいが、 気は優しい子だから、何の心配もいらねえよ」
母親の側で地念児がにこにこ笑った。りんもつられてにこっとした。
「具合が良くなるまで、ここにいればいい。おっかあが何でもしてくれっから」
地念児はそう言うと、畑仕事に戻っていった。


息子が外に出ていくのを確認すると、老女はりんににじり寄り、
「で、おめえが惚れてる妖怪は、殺生丸っていうやつか?」
と聞いた。ようやく、りんは気がついた。
「殺生丸さまと邪見さまは?」
「近くの森にいるよ」 子どもの世話をひとに押しつけておいて……と心の中で毒づく。
「行かなくっちゃ!」 すぐにでも飛び出そうとするりんを、慌てて押さえ、
「大丈夫だ。おめえがここにいることは知ってる。そのぶつぶつが治ったら、迎えにくると言ってた」
と言って、布団に寝かしつけた。りんはおとなしく布団に入ったが、寂しそうな顔をした。
「そうか、あの妖怪のため薬草採りに来たんだな。うんうん、あんないい男のためだったら何だってするわな。地念児のおやじどのみてえだよ、あの殺生丸は。おらももうちいっと若かったら……」
老女の訳のわからない言葉とは別に、りんは殺生丸のことを考えながらいつしか寝入ってしまった。


翌朝、日も随分昇った頃、りんの様子を見に邪見がやって来た。
もっと早く来い、という非難を込めた老女の目を避け、りんの枕元に座った。
「どうじゃ? 具合良くなったか?」
「うん、熱は少し下がったよ。かゆもたくさん食べたから、すぐに元気になるっておばあさんが言ったよ。 りん、もう大丈夫だよ」
だが、そう言うりんの声や目は、口ほどには元気がない。
「邪見さま……」
「何じゃ?」
「殺生丸さまは?」
「森の中で、おまえが治るのを待っておられる」
「……」
りんは何か言いたそうだったが、結局何も言わず、布団の中で向きを変えた。
そんなりんを見ていた老女は、邪見に向かって突然 「おめえ、おらの代わりに畑仕事してこい」 と命じた。
「はぁ? 何でわしが畑仕事せねばならんのじゃ!」
「おらはりんの世話がある。それとも何か、おめえがかゆ作ったり、薬草煎じて飲ませたりするか?」
こう言われれば、選択の余地はない。病気の子の世話と畑仕事、後者をとるしかない。


邪見が外に出ていくと、老女はりんに向かって、
「おめえ、あの殺生丸さまに来て欲しいんだな?」
と聞いた。りんは躊躇いながらも頷き 「でも殺生丸さま忙しいから……」 と小さい声でつけ加えた。
「大丈夫だ。おらにまかせとけ。でもひとつ、おめえにしてもらいたいことがある」
老女はいったん言葉を切り、ふっと片頬で笑った。
「どうしても殺生丸さまに会いてぇ、って駄々こねるんだよ」
老女の意外な言葉に、りんは目を丸くした。
「だめだよ、殺生丸さま困らせちゃ……」
「病気の時は特別だ。何でもわがままは言ってもいいことになっている」
断言するような言い方だったが、りんは半信半疑でいた。
「でも……」
「殺生丸さまに会いたくねえのか?」
この一言が決め手となった。昨日からずっと会いたかったのだ。
「よし、じゃあ後はおらが段取りするから、おめえはあの緑のちっこいのに 『殺生丸さまに会いてぇよー。 来てくれなきゃ元気にならねぇよー』 って、駄々こねんだぞ」


邪見は殺生丸のところへ戻る道すがら、何かおかしいと考えていた。
りんがあんなにわがままを言うのを、初めてみた。あの老女は、
「ちいせい子が病気になると、みんなこうなんだ」
としたり顔で言ってたが、どうも様子が変だった。りんよりも老女の方が、殺生丸さまを連れてこい、と熱心に 言ってた、ような気がする。
わしの考えすぎか……?
「邪見」 いつの間にか殺生丸が後に立っていた。
いつものことだが、まったくわしは敵じゃないんだから、いきなり背後に立つのはやめて欲しいと思うが、 口に出しては言わない。
殺生丸は、じっと邪見を見た。りんの様子を聞きたがってるのはあきらかだ。
だったら自分で行けばいいのに、と思いながら詳しく話すと、殺生丸も考え込んだ。
りんが駄々をこねた?そういう子ではないはずだが……。
しかし、病気になると変わるものなのか? 人間がそう言うのだから、そうなのかもしれない。


次の日、りんの熱はすっかり下がり、りんももう寝ているのに飽きたようで、起きる、と言い出した。湿疹も 引き始めてるし、家の中にいる分にはいいか、と思った時、例の総毛立つ妖気を感じた。
(来た!)
思わず口許がほころびそうになるが、あわてて引き締め、今まさに起き出そうとしているりんを止めた。
「だめだ、病気は治りかけが肝心だ。もうちょっと寝てろ」
と、その時、殺生丸と邪見が入って来た。
「あっ、殺生丸さま!」
りんはさっさと布団から出ると、駆け跳ねるように殺生丸の元に行った。
「思ったより……元気だな」 と言って、老女に訝しい視線を送る。
老女はすました顔をして、「ちっせい子はムラがあんだよ」 と答えた。
どうも怪しい、と思ったが、りんが喜んでいるのでとりあえず、りんの側に座った。
邪見は例のごとく畑仕事に行かされたので、家の中はりんと殺生丸、それに老女の三人だけ残った。
りんは以前の通り喋り続けて、殺生丸をうんざりさせかけていたが、先ほどより背中から妙な視線が飛んでいる のを感じ、今は却って、りんのお喋りが救いになっていた。
夕刻近くになり、りんのお喋りにも老女の妙な視線にも限界がきた頃、邪見と地念児が戻ってきた。
地念児は、そこにいる殺生丸を見て固まりそうになったが、おや? と思った。
(おっかなくねぇ……) 殺生丸の妖力は相変わらず強大だが、この前よりはずっと柔らかい感じがする。
(この嬢ちゃんと一緒だからだな) とひとりで納得すると、りんに向かってにこっとした。
「嬢ちゃんも、昨日あたりから元気になって、よかったな」
地念児の言葉に、母親はこら余計なことを!という顔をし、殺生丸はやはりな……と老女を睨んだ。


老女の計りごとではあったが、それでもりんが喜ぶので、その後も殺生丸はりんの元に来るようになった。
そのせいかりんの回復も早くなり、二、三日後にはすっかり元のりんに戻った。
「地念児さん、おばあさん、本当にありがとう」
りんがお礼を言うと、「世話になった」 と殺生丸が続けた。
うわっ、殺生丸さまの感謝の言葉、わし、初めて聞いた!と邪見は心の中で驚いていた。
りんが外へ出て、殺生丸の後を追おうとした時、地念児が呼び止めた。そして懐から何やら取り出すとりんに 渡した。
それは、りんの好きな野の花で作られた、花飾りであった。
「うわー、地念児さん、りんのために作ってくれたの?」
「いや……」 地念児はちょっと困ったような顔をしてから、ひそひそ声で、
「作ったのはおらだけど、嬢ちゃんの好きな花持ってきたのは、あのお方なんだ」
と言って、殺生丸をそっと指さした。
「でも、それは言う必要ない、って言われてたから、あの……その……」
言い淀んでる地念児に、りんはわかった、という顔をして 「内緒だね」 と言い、人差し指を口にあて、 しーっ、という仕草をした。
地念児も笑って、りんの真似をしてみせた。
「おーい、りん、行くぞ」 邪見の声が聞こえて、りんは地念児に手を振り、ふたりの元に走って行った。


先頭を行くのは白銀の妖。その後に緑の小妖怪、そして、双頭の竜に乗った人間の少女と続く。三人が通り過ぎた 後には、少女の歌声と笑い声がいつまでも残っていた。


いつもの風景。